Search for:
  • Home/
  • 編集後記/
  • 今後、多くの記憶に残るレーシングドライバーは現れるか?

今後、多くの記憶に残るレーシングドライバーは現れるか?

20220410_高橋国光_モータースポーツ_日本人_レーサー

2022年の3月。
日本のモータースポーツ黎明期から活躍され、レジェンドとして業界を牽引してこられた高橋国光さんが亡くなられました。
”国さん”の愛称で業界内や多くのファンから愛され、慕われてきた国光さん。
その走り、生き様は多くの人の記憶に刻まれているでしょう。
かくいう私もその一人です。

20220410_高橋国光_モータースポーツ_日本人_レーサー_R32_GTR_01
高橋国光さん、土屋圭市さんのペアでグループAレースを戦ったSTPタイサンGT-R

私が高橋国光さんの事を知ったのは1992年。
当時の全日本ツーリングカー選手権、通称グループAレースを観戦していた時です。
その時はSTPタイサンGT-Rを駆って戦っておられました。
相方はドリキン土屋圭市氏。
今でもアドバンカラーのR32スカイラインGT-Rの熱い走りと、サイン会でのファンに対する温和で優しそうな表情が印象に残っています。

そこから高橋国光とは誰だろうと様々な書籍を読み漁り(当時はインターネットも携帯電話も普及してませんから)、2輪レーサー時代があった事、日産ワークスとして箱スカで戦ったレースと、その時見せたドリフト走行に魅せられてレーサーを目指した土屋圭市氏の事、全日本耐久選手権やルマン24時間レースでの活躍など多くを知るに至りました。
そしてモータースポーツの面白さにハマり、そこから多くの全日本レースを観戦し始めました。

20220410_高橋国光_モータースポーツ_日本人_レーサー_GTR_ハコスカ_R382
日産本社ギャラリーに展示された高橋国光さんが駆った歴代のマシン達
20220410_高橋国光_モータースポーツ_日本人_レーサー_NSX_ルマン24時間_01
高橋国光さん、土屋圭市さん、飯田章さんのトリオでルマンGT2クラス優勝を飾ったホンダ・NSX

私が生観戦した中で、一番印象的だったのは1995年と1996年開催の鈴鹿1,000kmレースです。
1995年は、土屋圭市さんと飯田章さんのトリオでルマン24時間レースへ2回めの挑戦をした年。
ホンダNSXを駆り、見事GT2クラス優勝を果たしました。
1995年はその凱旋レースとなったわけですが、勢いそのままに上位クラスに割って入る形で総合5位のGTクラス優勝。
前年のクラス優勝と合わせて2連覇達成となりました。
1996年は苦戦したものの、ファンに喜んでもらおうとチームメンバーを奮起させてレースに取り組む姿勢は心打たれるものがありました。

また個人的にマイカーでのサーキット走行会に参加した際、たまたまインストラクターとして参加されていた高橋国光さんと二言三言雑談をした覚えがあります。
確か天気やコースコンディションについて聞かれたと思うのですが、緊張でがちがちな私に対し、まるで隣近所のオジさんが世間話するような感じでお話下さいました。
高橋国光さんにとっては些細な事だったかもしれませんが、私にとっては思い出に残る出来事でしたね。

さて、私の思い出話はこのくらいに。
例えばアドバンやハコスカ、ルマンなら高橋国光さん、カルソニックブルー、闘将、熱血、縁石走行、スカイラインなら星野一義さん、Zなら柳田春人さん、ロータリーエンジンなら寺田陽次郎さん、F1なら中嶋悟さん、チューニングカー、ドリフトなら土屋圭市さん、スープラなら織戸学さんという感じで、メーカー名やスポンサー名、車や走りのスタイルを思い浮かべると、ファンならばイメージを感じられるレーシングドライバーに一人行き着くはずです。
昔はプライベーター色が強く、レースも技術も洗練されてなかった事から、走りやそのふるまいなど、色々な意味で個性溢れるレーシングドライバーが多かったように思えます。
その中でもファンに強い印象を与え続けたレーサーがカリスマとなり、多くの人に愛され、その記憶に刻みこまれてきました。

そして現代。
インターネットやIT技術の一般化により、今やマシン開発やレース運営にも当たり前のように使われています。
国内モータースポーツの多くは自動車メーカー主導となり、レーシングドライバーもメーカー育成や運営するレーシングスクール出身者が増えてきました。
マシン開発や走り、普段のふるまいもより洗練されてきましたよね。

ここでふと思ったのですが、今の日本のレース、それも現役レーサーで、高橋国光さんほどのカリスマを持ち、多くの人に強い印象を与え続け、今でも多くの人の記憶を呼び起こされるレーシングドライバーはどれだけいるでしょう?
そこで先のイメージの話になるのですが、マシンやスポンサー名、カラー、走り等を思い浮かべて、もし現役レーシングドライバーが出てこなければ、あなたにとってまだ該当する人が現れてない事になります。

ヒーロー、スターと言い換えたほうがわかりやすいですかね?

コロナ過で冷え込みが続く日本社会。
モータースポーツ業界ではオンラインに活路を見いだそうと奮闘していますが、そうですね、例えばプロ野球日本ハムファイターズの監督に就任した新庄剛志さんのように、難しい事はひとまず置いといて、何かやってくれそう、なぜか目が離せない、レースはわからないけど見てて何か面白そう、などが感じられるレーシングドライバーの登場に期待したいですね。
SNSの影響もあり、著名人やスポーツ選手も一定のルールに沿った模範的なふるまいが求められる昨今ですが、全員を同じようにさせる事って果たして良い事でしょうか?
もちろん相手を死に至らしめる行為や犯罪は持ってのほかですが、例えば奇行と一括りにされる行為も、裏を返せばその人の個性と言えますよね。

多くの自動車メーカーやスポンサー企業が介入するだけに、イメージダウンはなんとしても避けたいところでしょう。
ですが、本来スポーツとは選手それぞれの個性、性格、技術のぶつかり合い。
そうした背景が見えてこそ魅力が増してきます。
荒っぽい人もいればおとなしい人、天才肌や努力型、一見、常識外れな行為をする人もいるでしょう。
例えばF1界で言えば、アイルトン・セナやアラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、ゲルハルト・ベルガー、リカルド・パトレーゼ、ミハエル・シューマッハが活躍していた時代は、そうした人が見えるレースが展開されていたように感じます。
WRCだとカルロス・サインツやコリン・マクレー、ユハ・カンクネンやディディエ・オリオールが活躍した自体あたりでしょうか。

様々な揉め事や非難はあるのの、そうした経緯を経て結果を残してきたレーシングドライバー達は、そのキャラクター含め、多くの人に強い印象を与えるまでになりました。

スポーツは目立ってなんぼ。
目立てば多くの人やメディアが取り上げてくれます。
ただ企業イメージを守るのに固執するのではなく、この選手ならどうやれば個性が生きるか?、この性格ならここまではいいだろう、このくらいは自由にやらせてもいいだろう、SNSの炎上リスクも多少は目をつぶろう、と、臨機応変な対応をしていくべきでは?と思っています。
特に現代のインターネットは、SNSや検索エンジンも個人への情報配信のローカラズ化が顕著。
最初の取っ掛かりで興味を持たせ、検索させたりトピックスに入れるなどしてくれないと、いくらインターネットとはいえその他大勢へは全く情報が配信されない事になります。
そのためにも、まず目立って多くの人の目に触れさせる事です。

【文】
編者(REVOLT-IS