多摩川スピードウェイ跡地取り壊し問題の考察と課題
日本及びアジア初の常設サーキット場として知られる「多摩川スピードウェイ」。
過去の自動車産業を伝える貴重な文化遺産として、市民団体「多摩川スピードウェイの会」の尽力と地元川崎市の協力の元、現在はその跡地に階段状の観客席跡が残されている。
だがその観客席跡が、地域の治水工事の一環で取り壊しの危機に直面しているという。
なぜそんな事態になったのだろうか?
発端は、令和元年の台風19号上陸がもたらした多摩川流域の甚大な被害。
その事を受け、今後同様のケースでの被害を軽減するべく国土交通省関東地方整備局は多摩川緊急治水対策プロジェクトを始動。
多摩川流域での治水対策や津波被害の軽減や、減災に向けたソフト面強化などの取り組みを推進していく事となった。
今回問題とされているのは、新たな堤防工事と治水対策のため「多摩川スピードウェイ」観客席跡を含めた土手を取り壊して整備しようとしている点。
他媒体の情報を見るに、その工事の通達が7月2日にあり着工がなんと10月から。
その急展開と工事内容が寝耳に水だった市民団体「多摩川スピードウェイの会」が抗議をあげた事で問題が表面化。
その抗議を受けて現在、工事を担当する京浜河川事務所側では残せるかどうかの検討を進めているという。
一連の問題に触れ、公開されている情報やSNSの書き込みなどを調査したところ、いくつかの疑問に辿りついた。
そこで実情を確かめようと京浜河川事務所側へ質問状としてメールを送ったところ、2週間後に回答を受信。
以下にその質問と回答、編者の考えをまとめてみた。
尚、これから書く事は第三者目線でなるべくモータースポーツ嗜好を除外した内容としてみた。
また「多摩川スピードウェイの会」は治水対策そのものに反対しているわけではなく、突然計画になかった工事を開始しようとしている点に抗議しており、跡地の一部を別の場所へ移設しては等という妥協案を提示しながら歩み寄りを進めている事も付け加えておく。
まず送った質問がこちら。
- 多摩川緊急治水対策プロジェクトの最終取りまとめが令和2年1月31日との事ですが、それ以前に工事案を川崎市と協議したり、地域住民へのヒアリングや中間報告会等を開くといった事はされましたでしょうか?
- 川崎市に通達があったのは今年の7月と報道されていますが、それ以前に川崎市側は工事内容を把握されてましたか?
- 観客席跡を取り壊さないと、しっかりした治水対策が出来ないという事でしょうか?
- 市民団体「多摩川スピードウェイの会」からの訴えがあったのは今年の7月が最初ですか?
- 市民団体「多摩川スピードウェイの会」から観客席跡を残すか他へ移設する提案がなされていると思いますが、その提案を飲んだうえでの治水対策は現時点で可能なのでしょうか?一部では検討するとの報道を目にしておりますが。
- 市民団体「多摩川スピードウェイの会」以外から、観客席跡を残してほしいという訴えはありましたか?
このような質問を送った意図だが、
- 「多摩川緊急治水対策プロジェクト」とその関連の工事について、地域住民や川崎市側と計画段階から情報連携が取れていたのか?
- 市民団体「多摩川スピードウェイの会」以外から、どれだけ抗議の声があったか?
という点を知りたいと思ったから。
そのうえでの京浜河川事務所側の回答。
- 本工事は「多摩川緊急治水対策プロジェクト」とは直接関係がない(最終とりまとめに記載がないのはそれが理由?)
- 本工事は、平成13年3月策定の多摩川水系河川整備計画において築堤に係る施行の場所に位置づけられており、以前から堤防整備を実施する場所である旨を伝えていた(確かに記載がある)
- 本工事の具体的な図面を提示したのは2021年7月になるが、当該地区の整備方法の検討を行う際にも、川崎市からも意見は伺っている(川崎市は以前から認識していた事になる?)
- 本工事について「多摩川スピードウェイの会」から意見をいただき、現在、関係者と対応方針について検討をしている(既報のとおり)
- 本工事について「多摩川スピードウェイの会」が記者発表を行った後、十数名の方から様々なご意見をいただいている。
そもそも前提が違っていたようで、今回の工事計画は「多摩川緊急治水対策プロジェクト」より昔に立てられた整備計画に基づくものだったようだ。
方向性が同じなだけに、恐らく連携した工事計画にはなっているのだろう。
だがここで気になったのが、2016年(平成28年)3月に川崎市が発表した行政ビジョン「川崎市新多摩川プラン」に「多摩川スピードウェイ跡地の保存」が採択・明言されている点(この記事を書いている時点でも記載あり)
京浜河川事務所側の回答を真実とするなら、それ以前から川崎市は今回の工事計画を知っていたはずで、「多摩川スピードウェイ跡地の保存」の採択・明言後に工事計画について意向を示さなければならなかったはず。
また「多摩川スピードウェイの会」へも、そういった工事計画が進められている事を伝える必要があっただろう。
2021年7月の工事の通達後に今回の問題が表面化した状況から察するに、川崎市側から「多摩川スピードウェイ跡地の保存」の事と「多摩川スピードウェイの会」への情報連携がされていなかった可能性が高い。
これが本当なら、川崎市側の落ち度という事になる。
ただ別の見方もできる。
実は調査の過程で、こんな事を感じていた。
- 「多摩川スピードウェイ」跡地に対して、地域住民や世間一般からの文化的価値への認識が低いのでは?
- 今回の問題がニュースとして取り上げられた事で、初めて「多摩川スピードウェイ」跡地だった事を認識した声も多い。
- ネット上では、工事に肯定的な声が多数派。
- 実際に現地で見てきたが、例えば取り壊し反対の立て看板を立てるなど抗議への熱や危機感が感じられない。
- モータースポーツや自動車業界に関わる個々人からの抗議の声が少なく感じた。
- 特に「多摩川スピードウェイ」で開催された競技に、本田技研工業(株)を創立した本田宗一郎氏も参加していた歴史があるのに、当の本田技研工業(株)からは取り壊しについての声明らしきものが出ていないような(トヨタはGAZOO Racingを通して取り壊し問題を伝えている)
例えば、鎌倉大仏を壊して災害対策をしますなんて宣言をすると、行政や地域住民含め多くの方が率先して反対の声をあげて阻止に動くだろう。
実際に現地で抗議活動を始める方も出始めるはず。
それに比べて今回の「多摩川スピードウェイ」跡地取り壊し問題では、そういった気配が見られない。
「多摩川スピードウェイ」の事を知らない、認識が薄い地域住民からしたら、安全性が高まる堤防工事はウェルカムだろう。
こんな状況下では川崎市も「多摩川スピードウェイ跡地の保存」の取り組みについて、行政全体で認識を深めるまでに至らなかった事が考えられる。
もしこれが重要文化財へ登録されていたり、そうでなくとも自動車メーカーや地域住民を巻き込みつつ現地で跡地を残す運動や催しを定期的に行い盛り立てていたなら、まだ状況も違っていたのではないだろうか?
特に横浜、川崎は人の入れ替わりも激しい地域なだけに、歴史を伝えていくべき定期的な催しは必要不可欠だったように思える。
そして常に話題になるほどの盛り上がりがあったなら、当然川崎市も行政全体で重要性や認識を深くできたはずで、工事計画が立ち上がった際も率先して跡地について意見出来ていただろう。
幸い、何らかの形で「多摩川スピードウェイ」跡が有った事を残せるよう、治水対策に影響がでない範囲で工事計画の再検討が進められている。
しかし今回の問題は、自動車産業の文化遺産の価値を広め、後世に残していく事の難しさを強く認識させられた。
今からでも遅くない。
前向きに検討を進めている京浜河川事務所へ多くの声を届けるとともに、我々も既存の車好き、モータースポーツ好きだけでなく、より多くの人へ過去と今、これからの車への関心と興味を持ってもらえるよう、さらに頑張っていきたいと思う。
【取材 – 文 – 写真】
編者(REVOLT-IS)
【取材協力】
京浜河川事務所